韓国人シンガーKが日本の伝統を旅する 「欄間は大きな可能性を秘めたアートだ」
第14回 大阪欄間工芸協同組合理事長 欄間工芸士・木下文男さん
K 大阪欄間は京都の宮大工から受け継いだと聞きました。
木下 かつて大阪は、日本の物流の拠点でした。いろんなものが集まり、大阪から地方へ流れたんです。そのひとつに欄間がありました。同時に木材もたくさん集まりましたから、材料が入手しやすいから大阪で発展したんですね。そして、堺の豪商が、お城にお金を貸すような立場となり、お城で見た欄間などを「ワシにも使わせてくれ」と、畳や欄間を使い始めたというのが最初と言われています。そして、庶民にも広まり、安いものが欲しいという人も出てきて、大阪では7種類の欄間が発展したんです。
K 大阪を経てポピュラーになってきたんですね。欄間を拝見しているとそれぞれに色がまったく違うのですが、色を塗っているのですか?
木下 一切おこなっていませんよ。
K 材料となる木の種類によって色が違ってくるんですね。
木下 そうですね。あと完成からの時間経過によって、色が変化してくるんです。僕らは「焼ける」と呼んでいるんですが、実生活のなかで、陽に焼けたりして、味わいが出てくる。木にはそういう楽しみもあるんですよ。
K なるほど。そこはアンティークの家具などと同じですね。逆に言えば、どういう材料を選ぶかというところから、作品作りが始まっているんですね。
木下 欄間の9割以上は杉系の材料を使います。関西は昔から杉が好まれているんです。最高級品と言えば吉野杉ですね。
K 昔のような作り方での家というのも少なくなっていると思うのですが、いま手がけられているお仕事はどのようなものですか?
木下 お寺や神社に行くとある大きな額、寺号額や山号額のせいさくですね。
K 今、木下さんのこだわりはどんなことですか?
木下 私たちのやっている仕事、伝統工芸を残したいという想いは強くあるのですが、なかなか後継者が育たない。その原因は仕事が少なくなっているからなんですよ。
K そうなんですね。
木下 ものすごく減っています。そういうなかで、従来欄間を入れる場所ではなくても、使える欄間を作ることを考えています。
K さきほどのついたてなんかもそのひとつですね。
木下 あとは壁掛けタイプの欄間などですね。
K 仕事を作る以外で、伝統を守る、残すという活動はやっていらっしゃるんですか?
木下 子どもや一般の人に体験してもらう活動を行っています。先日も高校へ行って、コラボレーションが出来ないかと相談したり。大学で、木材についての話もしました。木の特徴などについて詳しく知っている人は少ないですからね。職人になりたいと言ってくれる人はいてくれるんです。なのに、仕事がないから、こちらが持たない。
K 伝統を守るというのは、技術を継承することでもあると思うんです。木下さんがお辞めになったときに、欄間もなくなってしまう可能性もあるわけですよね?
木下 そうですね、その可能性はありますね。400年から500年間、受け継がれてきた技術を一度絶やすと次、復活するときにものすごく大変になります。そして、もうひとつ、現在、日本の文化について考えると、その元に何かがあったか? それは職人さんの技術です。その技術が基本となり、機械化されているわけです。手仕事をビデオかなんかで撮り、それを機械化したのがロボットですからね。日本の文化のルーツ、根っこのところにあるのは手仕事なんです。その手仕事が絶えてしまうと日本は沈没してしまう。
K ロボットは自然に進化するわけではないけれど、職人、人間はその作品に必要な道具を作り、工夫をして、変化していける。進化しているんですよね。
木下 だから、職人技術を絶やすということは、いろんなことが完全にストップしてしまうことだと思っています。どないかしてでも、ひとりでもふたりでも技術だけでも残さなくちゃいけない。
K 欄間は家の建具。だからとても身近なもの。でも身近にありすぎて、気づいてなかったことがあるんだと、今日考えさせられました。その時代時代でしか作れない欄間は、それこそアートと同じなんですよね。その技術は逆にこの時代だからこそ、大きな可能性を秘めていると感じました。
木下 それは私も思っているんです。これから先、良い欄間が出てくると思います。数は少なくても。
K そうですね。それをわかってくれる人たちがいることで、産業として文化が残る。木下 手作りの良さを楽しむためにお金を出してくれる人が必ずくると、ぼくは思っているんですよね。
K せっかくの人間の技術でしか作れないものですからね。もし将来の僕が家を建てるなら、欄間をつくってもらいたいと本当に思ったんですよ、さっき。是非お願いします。
木下 お待ちしております。